「存在する」というパワー

 お友達のHちゃんが、1歳になる男の子と陣中見舞い?で遊びにきてくれた。
 Hちゃんとはお互いの結婚式に出席にした仲なので、ちょっとばかし家族ぐるみ的な付き合い方をしている。

 もうすぐ1歳になるYくんはだいぶ顔が変わってた。
 産まれたときは、もろにパパのコピーだったのが、だんだんとママに似てきて、いまはその中間っていう具合。このくらいの年齢の子って、顔が変わるのがはやいので、面白い。

 どうもヌイグルミのミッキーと闘うのが好きらしく、うちに置いてあったミッキーマウスと闘わせてあげたら、声をあげてよろこんでいた。
 午後時6時半過ぎに、Hちゃんのだんなさんも来て、3人で立ち会い出産や子育ての話などをする。児童手当の話なんかはとっても参考になった。
 でも、だんなさんに「もうすぐ出てきそうな、いいお腹だねぇー」と連発され、ちょっと恥ずかしかった。


 妊娠して、わたしの世界が、”ズボボボボボッ”と子育て方向に広がっている。
 お腹のハラ子ちゃんはまだ一言もしゃべらないのに、「存在する」というパワーによって私が動かされている。
 ハラ子ちゃんの存在によって、私も夫ちゃんも成長し、まわりは喜びであふれ、刺激される。

 たぶんハラコちゃんの顔も声も分からないだけに、「存在する」ってことそのものが、とってもシンプルで分かりやすくなっているんだろう。


 「存在」って、本当はこういうことなんだよな。
 顔とか、声とか、能力なんて、関係ない。
 在ること自体が、ものすごくパワフルで素敵なこと。
 在ること自体が、ものすごく影響力のあること。

 なのに、日々の生活に追われ、いろんな感情にまみれると、そういうことが見えなくなってしまう。
 人間は本来、存在を喜び合うことがでできる感受性豊かな生き物なのに。