愚図らない娘


 Hちゃんがお祝いと称して遊びに来てくれた。りんごをパッと見て「この子、芯が強いねえ」という。Hちゃんはリトミック教室で働いていたことがあったりする子ども好きな人だ。大人や子どもを問わず私はHちゃんの人を見る眼を買っている。

 「やっぱり? 信念強いでしょぅ?」」というと、「そだね。100人の赤ちゃんがいたら、97人フツーな感じだとして、残りの3人に入るタイプだねぇ。とっても個性強いわぁー」と言われた。

 入院中から、というか、りんごを初めて抱っこしたときから、「強いなあ」と私は思っていた。新生児室を見回しても、りんごより強そうだなあと思った子がいなかった。だからこそ「どーして、こんな子がウチに来たの?」と思った(20050105 参照)。だって、赤ちゃんなのに親の私よりずーっと強そうなんだもん。

 私のもとに来たりんごは「赤ちゃん」という概念をくつがえすようなベビーだったなのだ。なんというかな、赤ちゃんなのに、しっかりしてるんである。

 「かまって〜!」という要求を発信して、大人にネコ可愛がりされて、いっぱい抱きしめられることが必要な存在が赤ちゃんだと思っていたのに、りんごは、今でもおっぱいやおしっこなど、要求があるときしか泣かない赤ちゃんだ。
 
 友だちから「愚図って、大変なの」という言葉を聞いた私は、そこで、りんごが手がかからない優等生ベビーだったことに気づいて、「新生児って愚図るのか。そう言えば愚図るってどういう意味だっけ?」と、夫ちゃんと一緒に辞書をひいてしまったくらいである。(「つわりがないの」と悩む妊婦さんの気持ちがちょっと分かるような気がした)

 Hちゃんも「こんな情緒安定してて、完成されてる赤ちゃん見たことない」と言っていた。そうなのだ、「育児は大変だ」とあらゆる人から聞かされてビビっていた私は、ちょっと拍子抜けしてしまったくらい、顔かたちはベビーなのに、りんごはまるで大人みたいなんだよね。発信してくる要求は分かりやすいし、場所など環境の変化にもこだわらないし、とっても育てやすい。

 ともあれ「りんごちゃんが孤独にならないように注意したらいいよ」との言葉はさすがだなと思った。ちょっとユニークな子だけに、もしかしたら孤独に陥りやすいかもしれない。確かにその部分はフツーの子より注意を払うことが必要かも。

 最初、この大人並みの強さに戸惑ったけど、抱え込むように愛情を注ぐというよりは、りんごにはりんごのポリシーを大事にして、後ろからサポートしてあげることが、親としての愛情になるのかなあ、って思う。
 
 しかし、どーしてこんなしっかり者がウチに来たのかな。
 妊娠中、「3人家族になって、3人がそれぞれの人生をサポートしあえるようになろうね」って言い聞かせたからかな。
 うーん、そーいう意味では、願いが叶ったのかも。