私たちの出産

 今年はブログに出逢えたおかげで、コミュニケーションの輪が広がり、とても楽しかったです。みなさま、ありがとうございました!
 さて、今年の締めとして、出産の記録を載せておくことにしますね。
 大変な分量となってしまったので、ご興味のある方は、もしよろしければお時間のある時にでもどうぞっ。
 ではでは、来年もよろしくお願いします〜♪

 

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☆★☆出産を終えて☆★☆

 初めてジェットコースターに乗ったのはいつだったか忘れちゃったけれど、
私にとって初めての出産は、まさに“初めてジェットコースター”に乗ったときみたいにスリリングで面白かった。

 大人になると「先の見えないこと」が滅多に無くなる。たいてい「この位の範囲でおさまるんじゃないか」と思う範囲で、予定調和的に、物事が落ち着いていく。けれど、私の出産は最後の最後まで「まるで先が見えないトンネル」だった。

 日ごろ先が見えることばかりに慣れ親しみ過ぎていた私は、この「先が見えない」ことのスリリングな感じに、とっても戸惑い、悲鳴をあげた。が! 今、思えば、それが出産の醍醐味だったのだと思う。
 
 予定日を7日超過して、計画出産をすること入院した私にほぼずっと付き添っていた夫ちゃんもきっとそう思ったことだろう。計画出産といいながら、何のことはない、ちっとも計画的に進まないのだから。

 渦中にいるときは無我夢中で人生はじまって以来の必死さで向き合ったけど、初めての出産は人生で一番思い出深い出来事となった。つわりからベビーの誕生まで、我慢に我慢を重ね、苦しみ続けたのに「もう一回やってみたいなー」と思うから、人間の記憶や感情ってほんと不思議である。

 さて、次に続くのは、私の出産体験の記録である。いま妊娠中の妊婦さん、また将来的に妊娠を考えているご夫婦、特に立ち会い出産をお考えのご夫婦に読んでもらえればこれ幸いである。

 妊娠を経験したご夫婦なら、ご存知のように、初期のつわりから出産直前の陣痛の起こり方まで「個人差がある」という言葉で言い切れるくらい妊娠&出産は千差万別で、とても個人的な体験なだと思うので、どこまで役に立つ記録になっているかはわからないのだけどね。

 なお、出産に痛みが伴うのは、分かりきっていることだけに、「わざわざその痛みについては書かない」という選択もできたが、個人的な記録と割り切って、ここではあえてその時の痛みや感情をそのままに記録した。私は、担当医や助産師にあきれられるくらい痛みについては超敏感体質なようなので、その点はご了承ください。

 最後に、ハラ子ちゃんの誕生は、夫ちゃんの活躍あってのものだということを記しておきたい。

 出産後、お世話になった助産師さんに「助産師さんて、いい仕事ですね。ハラ子ちゃんが助産師になってくれたらなあって思いました」と言ったら、「ベビーじゃなくて、旦那さんこそどう? 向いてると思うわよー」と言われてしまった。
  
 日ごろ、低姿勢な夫本人も「オレは出産を語れるぞ」と自信をもって言うくらい、この出産への取り組み方は半端じゃなかったことは、日ごろシビアに人を斬る私にも認めざるを得ない。それくらい、夫の関わりは大きかった。
 これから、立ち会い出産をするご夫婦は、ぜひ参考にください。
 
 では、どうぞ!
 

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ハラコちゃん誕生ドキュメント〜私たちの出産〜
 
☆★☆12月7日(火)☆★☆

 4:30 a.m.
「入院日がきた!」と緊張で、目が覚める。

 8:30 a.m.
 夫ちゃんに「まだ家でなくていいじゃない?」と言われ、言うことを聞いたら、タクシーがなかなかつかまらずに困った。入院日なのに、ちょびっと険悪ムード。こんなときに険悪になっててもしょうがないので、タクシーのなかで和解。

 9:00 a.m.
 病院の受付で入院手続き。
 昨日まで「この手続きまでに自然に陣痛が来ないかなあ」と思っていたことを思い出し自分にちょっとがっくりする。
 
 9:10 a.m.
 分娩室前へ。私たちを助産師さん達が待ちかまえていた。
 そこで両親学級でみかけた男の人に会う。どうやら奥さんが2日前から入院しているがまだ産まれず、「なんとか今日には」という話だった。旦那さんも会社を休んで3日目、だそう。病院に泊まっているらしく、無精ヒゲが伸びていた。
 彼の話を聞き、未来の私たちを予見してちょっと緊張。

 9:30a.m.
 助産師さんから、説明を受ける。
 とりあえず、予定していた陣痛促進剤の錠剤(プロスタグランジンE2)を1時間ごとに飲むことを聞かされる。
 担当助産師さんから「助産師見習いの学生をお産まで学習させていいか?」と言われ、気持ち的にOKな状態なトコロまでという条件付きで、承諾した。
 NSTでべビーの心拍数、お腹の張りなど見ながら、血圧を測られる (NST、血圧の測定は、今後ずっと続く)。
  
 10:10a.m.
 最初の1錠目を飲む。ここから1時間ごとに1錠ずつ飲むことになる。
 まったく変化なし。わたしは余裕の笑顔。
 「この笑顔で出産の最後までいけたらいいですね」と助産師さんに言われるも、その言葉の意味の深さが、この時の私にはまだわからなかった。

 10:30a.m.
 実家の母が来る。代わって、夫ちゃんは会社へ。
 「この子、感受性が豊かだし、天井を抜けていくような高い声が出るんです。おそらく、この病院で伝説となるような出産となると思いますので、よろしくお願いします」と挨拶。「いったい母は何を言ってるんじゃ?」と思ったが、実際その通りとなった(苦笑)。
 
11:10a.m、 12:10p.m、13:10p.m、 14:10p.m、15:10p.m、
1時間ごとに6錠目まで飲む。余裕なわたし、まったく変化なし。

 17:00p.m.
 担当医の内診。
 子宮口にゲンコツを入れられた。超〜ぅ痛くて、半べそをかいた。
 悲鳴をあげても、担当の女医センセイは涼しい顔をしているのが、なんか悔しい。
 母に対して「あのお喋りしている可愛らしい笑顔が無くならなければ、赤ちゃんは生まれてきませんので…」と説明している声が遠くで聞こえるた後、「錠剤では効き目がないので、ラミナリアを入れる処置をすることにします」という声が聞こえた。
 ラミナリアとは海藻の一種で、子宮口を拡張させるために、それらをまとめ棒状にしたものを子宮口に入れる、ということだった。
 
 17:30p.m. 
 ラミナリアを入れる処置。サイコーに痛い!( 〜 以降、半端じゃない痛みにもだえ苦しむ)。肉体的にも痛かったけど、精神的にも痛かった。とても屈辱的な処置。なんというかな、SMで言うと、完全にM! だってお線香をまとめた束みたいなのを突っ込むんだよ(泣)。
 振り返ると、この処置は陣痛よりも痛かったと思う。しかし、私が強烈な叫び声をあげたため、中途半端な処置しかできなかった」と担当医に言われ、それを聞いた母に激怒りされた。
 「あんたが我慢しないと、いつまでたっても赤ちゃんは出てこないのよ! 逃げてたら、時間が経つばかりでしょ!」と。

 この言葉で、子宮口からの痛みだけではなく、母からの言葉に私は精神的にもダメージを受けてしまった。(帝王切開しかしてないあんたに何がわかるのよ…)
 というわけで、とりあえず私のこころは夫ちゃんに向いた。だれかにすがりたかった。夫ちゃんが病院に戻ってくる18:30まで、なんとか耐えようと頑張る。そして、日ごろは偽善的なまでに人のいい私も「出産時まではお人よしでいられん!」と、ここで「実習生を私の出産に立ち会わせないで欲しい」と助産師に申し入れた。
  
 18:30p.m.
 夫ちゃんが病院に駆けつける。
 普段なら、そうは言わない私であるが、夫ちゃんに、私が母に帰ってもらいたがっていることをうまく伝えてほしいと、陰ながら告げた。
 いま私に必要なのは、母の叱咤激励よりも、夫ちゃんの優しい慰めや癒しだ、と判断したからだ。
 
 19:30p.m.
母と夫ちゃん、一緒に食事へ。
 その間、待機室でラミナリアの痛みに耐える。痛くて死にそうだった。
 
 20:30p.m.
 夫ちゃんが食事から戻ってくる。
 
 21:30p.m.
 夫ちゃんと待機室で話しあう。
夫ちゃんに「痛いのは分かる。けれど、いまは気持ちが後ろ向きになってるから、一歩でも前に進むために、前向きになるために、必要なことを一緒に考えよう」と言われたのをきっかけに、実は口ばっかりで、この期に及んでまで、心のどこかで「陣痛から逃げられたらいいなあ」と思っている自分に気づいた。
 それから、前向きになるために、夫ちゃんと二人で考え、私は以下3つのことを言った。

 1)母がそばにいないほうがいい
 (昔話を持ち出されたり、叱咤されても、私の気持ちが萎えるだけなので)。
 2)どんな処置のときでも安心できるので、夫ちゃんが一緒にいたほうがいい。
 3)どんな処置をされるのか、理解していたほうが前向きになれるから、助産師や担当医に素人な私でもわかるように、ゆっくり丁寧に説明してほしいと要望したい。

 そして、それは以下のようになった。
 1)カンのいい母は私の意図を悟って、なにもいわずに実家へ帰っていった。
 2)ある程度陣痛が来てから、会社から呼ぶはずだった夫ちゃんなのだが、私の我がままで、できるだけ一緒に立ち会ってもらうことにした。
 3)この日、22:00p.m.ごろ、助産師がまた来たときに、ふたりで訴えた。
 いま思い返すと、担当医や助産師に相当文句を言ったような気がする(いやな妊婦だ(苦笑))。が、辛抱強く、聞いてくれた(次の日、頑張れたのは、ここまで助産師に文句を言ったからかもしれない)。

 夫ちゃんの以下の言葉が印象的。これを聞いていて、やっぱりできるだけ一緒にいて欲しいと思わずにはいられなかった。
 「妻は感受性が豊かなので、言葉に対してとても敏感なんです。だから、できるだけ後ろ向きだったり、誤解しやすい言葉は使わないであげてください」
 「理屈っぽいので、”なぜ?”と思ったことに納得しないと、前に進めないタイプなんです。そういう性格だと思って、できるだけどんな処置をするときでも、理由をわかりやすく話してやってください」
 
 23:30p.m.
夫ちゃん、病院から自宅へ帰宅。

 0:30p.m.
処方された睡眠薬を飲みながら、就寝。
 「今日の自分を反省し、明日は出産に前向きに取り組もう」と誓って、眠りにつく。 
 
 

☆★☆ 12月8日(水) ☆★☆
 
 6:30a.m.  
 目覚める。
 助産師が、いきみ逃しについての話をしに来る。
 「人によって、痛みののがし方ってあるのよ。痛みととことん向き合う人もいれば、違うことを考えて気を紛らわす人もいる。自分にはどんな方法があるのか、考えてみて」と言われた。
 自分で考えて「私のばあい数字を数えるかシリトリをするか、だなー」と思う。
 水泳で潜水をして息がとっても苦しかったとき、いつも私は数字を数えていたりしたから。
 
 7:10a.m.
昨日と同じ錠剤(プロスタグランジンE2)を、同じように1時間ごとに1錠飲むことになる。
 
 8:10a.m.
2錠目。

 8:30a.m.
夫ちゃん来る(この時はまだ私1人で耐えられる痛みだったため、夫ちゃんは様子を見て、会社に行く予定だった)。
朝食のバナナで気持ち悪くなり、もどす。

 9:00a.m.
 担当医による内診。ラミナリアを外した。激痛だったが、私としては昨日よりは頑張って耐えたと自分を褒めてあげようと思った。しかし、内診後、涙が止まらない私を見かねたのか、担当医が夫ちゃんに処置室に入るように言った。
 わなわな震える私の頭を「よく頑張ったよな」と夫ちゃんが優しく撫でてくれた。そして、落ち着いたころ、夫ちゃんは担当医に呼ばれた。
 「あのー、今後は、どんな処置も立ち会ってあげてもらえませんか? 奥さん一人きりだと身体がこわばっちゃうみたいなので」という担当医の声が遠くで聞こえた。そして、「そうですね、そうします」と答える夫ちゃんの声が聞こえた。一瞬、「会社はどうするの?」と思ったけど、私が気持ち的に安心した。
 
 9:10a.m.、10:10a.m.、11:10a.m.、12:10a.m.
2錠目〜6錠目まで飲む。
 
 12:30a.m.
内診。ラミナリアの激痛に耐えた甲斐あって、担当医に「子宮口2センチ」と言われる。
 はじめて子宮口が開いた! 夫ちゃんも褒めてくれた。嬉しかった。

 13:30a.m.

これまでいた待機室から陣痛室に移り、さらに陣痛を起こすための薬を点滴することになる。点滴する速度が増すほど、痛みが強くなるモノ。 最初は陣痛室から眺める景色を堪能したり、助産師さんと夫ちゃんとの馴れ初めについて、あっけらかんと話していた私も時間が経つごとに笑っていられなくなった。
 主に腰が痛くて「腰をさすって」「そこじゃない、もっと下、もっと真ん中!」なんて、叫び続けてた。前かがみになる、揺れるイスが痛みを逃すのに便利で、それを専用にしていた。
  
 18:00a.m.
点滴をしながら、陣痛の痛みをこらえながら夕食。
 フゥー、フゥーと痛みをのがしながら、お見舞い客のいるラウンジで食べてこいなんて助産婦も酷なことを言うよなあ、と思う。初めての点滴で肉体的にも、精神的にも、ボロボロ。
 がしかし! 陣痛室からラウンジへの移動中の夫ちゃんのつぶやきを私は聞き逃さなかった。「まだ産まれないのかな?」。この言葉が私にさらに追い討ちをかけた。(妊娠中から出張を延期してるんだもんなあ、ホントは私なんかに付き合わずに出張にいきたいんだろうなあ…)そう思ったら、産むに産めない自分に自己嫌悪になって、涙がぼろぼろでてきた。
 助産師さんのKさんに涙のわけを聞かれ素直に話すと、大きな声で怒鳴られた。「あなた! なに言ってるのっ! いま重要なのは、赤ちゃんを産むことでしょっ!!」。そしてKさはラウンジにいたベビーの入ったワゴンを押すWさん夫婦を紹介してくれた。
 Wさん夫婦も予定日7日超過で、陣痛促進剤を使って3日がかりで立ち会い出産をした夫婦だった。Wさん夫婦の赤ちゃんはとても可愛かった。私たちが現況を話すと「ウチはもう子どもに助けてもらったような出産でしたよ。大変でしょうけど、がんばってね!」と励ましてくれた。こんなシンドい思いをして産んだ人がいるんだなあと私は元気を取り戻せたような気がした。

 20:00p.m.
 担当医による内診。
 子宮口の状態が変わらず、「明日産まれる可能性はほとんどないので、旦那さんには会社に行ってもらっていいと思います」と言われる。この分だと4日がかりか…と、半分ショックを受けた。

 21:00p.m.
痛みをのがしながら、シャワーを浴びる。痛みのある腰などにあたたかいシャワーを当てると、痛みが消えるような気がした。

 22:00p.m.
「 陣痛室でそのまま眠ってしまってもいいですよ」と助産師さんに言われたが、待機室で一緒に寝ていた人が本格的に陣痛が始まり、あの声を聞いていては眠れなくなる…と、もとの待機室に移らせてもらった。
 荷物を移動させて、夫ちゃん、自宅へ帰宅。
  

 12月9日(木)

 4:30a.m.
陣痛促進剤の点滴の余波か、痛みで目が覚める。フーッ、フーッ…とベッドのなかで、痛みをこらえた。

 6:00a.m.
助産師さんにフットのアロママッサージを受ける。「これから頑張るために、今はリラックスしてくださいねー」と言われた。なんかプレッシャー。

 8:00a.m.
 担当医による内診。「子宮口3センチ開いている」と言われ、しかも「今日、産まれるかも」と言われた。
 担当医の話が昨夜と話が違うのでびっくりし、すぐさま夫と母に電話。夫ちゃんは午前中だけ会社に出るつもりだったが、私の電話後、会社に顔だけだして、すぐ病院に駆けつけてくれた。

 13:30a.m.
 昨日と同じように、点滴開始。

 14:00p.m.
 内診。
 「子宮口2センチくらいのままなので、今日産まれることない」と言われる。
 
 18:30p.m.
 担当医の内診。「破水している」と言われる。
 この時点で、6時間コースの点滴の残りはあと2時間程度分。
 が!!
 あまりの激痛に、自ら、担当医に「もう点滴はやめたい。今日はもうゆっくり寝たい」と必死の思いで訴えた。肉体的というよりは、気持ちが本当に死にそうだった。あれほど「死ぬ!」と思ったのは、生まれてはじめてだ。
 担当医も私の様子を見て「今日はもうやめましょう」と受け入れてくれたため、ほっとする。

 ただ、今日で3日なので、薬の問題的にも、母体の精神力的にも、負荷がかかりすぎるので、明日も点滴を続行することはできない。そのため、1日休んで、また土曜日の朝からイチから頑張りましょう、という結論になった。
 私は「5日がかりになるのか…」と思うものの、ここまで来たら、どんなに時間がかかっても、マイペースで出産したいという思いになり、ほっとする。

 しかし!! 夫ちゃんの「僕が憎まれ役になりますから、もうあと残り2時間なら、最後まで点滴をやってしまってください」という声が遠くに聞こえた。私は激痛の最中にもかかわらず、「おぬし、カッコいいこと言うなー」と夫ちゃんのことを思うが、これでまだ点滴が続くのかと思うと気が遠くなる。
 
 19:30p.m.
 事件発生!! 点滴のマシーンが「ERROR」を出す。

 助産師たちが慌てている様子が、ベットにうつぶせ寝している私の背中で読み取れた。と、同時に、私の静脈に点滴の針が通らなくなる。
 この事件をきっかけに「点滴続行は無理」とあきらめ、1日休んで土曜日からまた陣痛を起こすという5日がかり出産への方向づけがされた。
 夫ちゃんが実母へ電話。「今日産まれそうにないと言われるも、破水している」と伝える。

 20:00p.m.
自然に陣痛が起こる。
 助産師による内診。思っているよりもお産が進行していたことに驚き、インタビューを受ける。「トイレに行きたい? うんちをしたいような感覚がある?」など。腰に激痛が走ってどうしようもなかった。

 21:00p.m.
うんちを出すような動きの運動を教わり、ひたすらいきみ続ける。

 21:25p.m.
 夫ちゃんは陣痛室で横たわる私の膣口から、赤ちゃんの髪の毛を見たらしい。

 21:30p.m.
 腰に猛烈な痛みを伴うまま、分娩室へ移動(横向きになっていたような気がする)。 
 助産師さんA「赤ちゃんの髪が見えましたよ! もうすぐもうすぐ!」
 夫ちゃん「(握った手に)爪を立ててもいいぞ、がんばれ」
 助産師さんB「次にいきみたくなった時、がんばってみてー」
 助産師さんC「(とりあげるのが担当医じゃなくなったので、)技術のある先生ですよ。安心してねー」
 助産師さんD「すごい、すごい! あなたできるわよ!」
   ……などなどの声が飛び交っているのが聞こえた末、「産まれたわよ!」という声が聞こえた……ような気がする。

 この間、痛みから意識をそらすために、繰り返し数字を数えたり(380くらいまで数えたかな?)、頭のなかで「リンゴ、ゴリラ、ラッパ、パン粉、コマ、間抜け…」と、しりとりをしていた。

 22:37p.m.
 ハラ子ちゃん、無事、誕生☆ すぐに抱っこさせてもらえた。
 産まれたあと、「この子? 私が本当に産んだんですか?」と言ったら、医師や助産師のスタッフみんなに笑われた。
 ベビーの泣き声を聞き、「なんて元気な子なんだろう」と思う。
   〜30分間ほど、3人の時間をもらい、ハラ子ちゃん誕生を味わう〜
  

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 以上です。
 お役に立てばうれしいです。
 では、みなさま、よいお年を!!