品のある人

先日のこと。りんごをスリング抱っこして、都電に乗っていたら、ある着物を来たおばさまに声をかけられた。年のころは50代に入ったというところだろうか、着物姿がとても上品な人だった。

「何ヶ月?」と聞かれ、「もうすぐ4ケ月」とこたえる。娘を見て、「可愛いわね〜」と何度も繰り返すご婦人。それからひとしきり娘の体格のことなど、ありきたりのことを話すと、「娘さん、どっちに似ているって言われる?」と聞かれた。

「夫ですネエ…」。私はすかさずこたえた。なぜなら、たいていの人に夫にそっくりだと言われるからだ。「私には全然似てないって言われますぅ。あんなに苦労して産んだのに、夫にばっかり似てるとちょっと悲しいときがありますね(笑)」と続けると、そのおば様はこう言ったのである。

「神様がね、0歳児のときは、お父さんに似させているのよ。そうじゃないと、誰がお父さんか分からないでしょう?」。

おば様の微笑みが、まるで観音様のようにふんわりと柔和でしーんと静かだったせいか、私はおば様の言葉がすとーんとこころに落ちた気がした。そして、その数秒後、「そうだったのか」と膝を叩きたくなるような思いがした。

0歳児が父親に似ているのは、神様のシワザ…。文字にするとウソっぽく読めるが、私はホントにその時、「なるほど!」とヘレンケラーが水を知ったときのような、そんな気分がしたのである。

家に帰って、夫にこの話を話したら、夫も「そのおばさんの話、なんか納得できるなー。腑に落ちる感じがするなあ」と話していた。

おば様の話がホントかどうか分からない。けれど、なんか信じたくなる話だな、と思った。0歳児時代はベビーを父親に似させているというのが、自分の遺伝子を確認しにくい男性に対する神様の配慮だとしたら、神様とはなんと粋なコトをなさる人なのだろう。

生命の神秘については私のような若輩者が話すと、とても軽く響く。けれど、品格あるおば様が笑顔で語ると、本物として響く。それが、年の功というものなのだろう。

品とは、内面からにじみ出るもの。おば様くらいの年になったとき、私もあんなふうな表情で新米ママに語れるようになれるんだろうか。いや、なれるように頑張ろう。