離乳食を始めるにあたって

「味わうことが下手だよね〜」言われたことがある。24の時、転職して、新しい会社で仕事をし始めて数ヶ月のころのこと、会社の雰囲気に慣れなくて友達にグチってたら、この言葉を言われたのだ。

「まったりした会社の雰囲気、ぴりぴりした会社の雰囲気、甘ったるい会社の雰囲気、雰囲気にも味があるのよ。それを美味しいと思ってもいいし、マズいと思ってもいい。無味乾燥だと思ってもいい。とにかく、理想の環境じゃないことを文句言うのではなくて、そのままの会社を味わおうって思ってみたらどお?」。

目からウロコだった。雰囲気って味わうものだったの…?って目をぱちくりしてしまった。”好き、嫌い”はあったけど、「味わう」というスタンスで会社の雰囲気を感じようとしてみたことはそれまでの私にはまったくなかった。

私は、仕事で結果を出すことしか頭のなかになかったのだ。それまで世間的には順調に結果を出してる方だったから「結果さえ出しゃーいいんでしょ」と社会をなめきってた。今思えば、とて傲慢で鼻持ちならない小娘だった(恥)。

私はかなりヤバい感じで、偏差値偏重主義から来る「結果主義」に毒されていたのである。でも、だからこそ…、会社に馴染めず、つまづいていた。痛みも悲しみも悔しさも味わうことをやめて、結果を出すことにばかり頭をまわしていた。

しかし、「味わう」という視点を持ってから、不思議と強くなった。そして、「いい結果はいいプロセスを踏んだ人がはじめて獲得できる果実なのだ」と、最近になって、ようやっと分かるようになってきた。そして、結果ばかりを見て、プロセスを見る余裕をなくすと、たいがいウツになって何事もうまくいかなくなるということも…。

前置きが長くなった。娘の離乳食を始める時が近づき、いそいそと準備している間に、頭がクルクルと回転し、このことを書いておきたくなったのだ。

私はもともとそれほど食には興味がない。とりわけ凝った料理も作らないし、お菓子も作らない。お金があったとしても、30000円のフルコースを頻繁に食べてみたいとも思わない。そんな私だけれど、でも離乳食をきっかけに、娘と一緒に「味わう」ということをイチから考えてみたいなと思っているのだった。

「結果が出ていて当たり前」というキビシい大人の世界は、たぶんあっという間に彼女に近づく。それは、仕事でも、子育てでも、大人になればなんでも同じだ。普通では誰も大して褒めてはくれない。けれど、何が起こっても起こらなくても、動じないでいられる強さは、プロセスを楽しむこころの余裕から生まれる。

結果とバランスをとるには、プロセスを見つめるしかない。そして、プロセスを楽しむということは、「味わう」ということである。

人生には痛いも、ツラいも、悔しいも、悲しいも、いっぱいある。にがいも、気持ち悪いも、辛いも、いっぱいある。もちろん、楽しいも、嬉しいも、美しいも、甘酸っぱいも、素敵!も、甘いもある。

娘には、人生のいろいろを「味わえる子」になってほしいなーと思う。結果を出して笑うのではなく、「プロセスの途上で笑える子」になってほしい。「マズいねー」と食べ物をすぐにポイする子ではなく、「マズいねー」と言いながら笑える子になってほしい。どんなことも楽しめる余裕を持った子になってほしい。

時間がないのでどうしても記録だけを書き留めることになっちゃうのだけれど、でも、私としては娘と一緒に「味わう」ということを再発見してみたいなと思っている。人間がおっぱいを離れ、食べ物を口にしていくということはどういうことなのか。「味わう」ということは、いったい何なのか。そして、離乳食の完了期を迎える頃に、今まで気づかなかった新しい何かを発見できていたらいいな、と思う。