母と子

先日、タンスの整理をしていたら、出産時に手首に付けていた番号札が出てきた。コインロッカーのカギについているような、軽くてちゃっちい番号札。だけど、私にとっては、あの何とも言えない感動が脳裏によみがえる思い出深い代物である。

あれは、娘の誕生直前のこと、陣痛がピークに達し、うんうん唸るなか、「髪の毛が見えましたよ!」という助産師の声が私の耳ではっきりと聞こえた。とたん、あっという間にベビーの身体が体外に出て行くのが体感としてわかった。身体に力が入り、頭が真っ白になる。そして次に気がついたときには、さっと左手をとられ、番号札が付けられていた。

番号1××9。「赤ちゃんと同じ番号ですよ」と助産師さん。気づいたら、私の左手とベビーの左手に同じ番号札が付けられていた。私が出産した病院では赤ちゃん盗難防止のために、お腹から出てきてすぐに母親とベビーは同じ番号の番号札がつけられることになっている。

夫は何よりもこの番号札に感動したようだった。あとで撮ったデジカメの写真を見たら、番号札の写真ばかりだったのだ。私の手とベビーの手を並べて撮った写真がいーっぱい。母と子のつながりを表す、家族としてのつながりを表す最初の品物……。

病室に行けば、当たり前だけど、母子が同じように同じ番号の番号札をつけていた。母と子のペアがあふれる病室。「スゴいなあ、これだけの赤ちゃんが胎児としてお腹のなかにいたんだー」と感動する。けれど、母子をトランプをシャフルするように入れ替えたらどうなるんだろうなんてことを、ふと想像したりもした。あっちのベビーを私が育てて、私のベビーがあっちで育てられた……と、したら??

その時は、単なるお遊びとしての想像で終始していたのだけれど、実は、最近になってこの手の想像をリアルな気持ちでにするようになった。というのも、「娘は私のもとに生まれてきてホントに幸せなんだろうか」と不安に感じることがままあるからである。

例えば、お友だちのママさんにYさんという人がいる。彼女はただいま産休中のキャリアウーマンだ。働いている女性特有の背筋がピンと伸びた凛とした雰囲気と優しい笑顔をあわせもつ素敵な人だ。

母性豊かで、赤ちゃんをあやすのが、とっても上手。赤ちゃんを抱いたとたん、スポットライトのように明るい光が差し込んで、自分の赤ちゃんとでなくても、まあるい幸せな雰囲気がすぐできる。その光りの入り方は、児童館でも、公園でも、ファミレスでも変わらず、抱かれている赤ちゃんは、笑顔はとびきり笑顔になり、泣き顔は可愛らしい笑顔に変わる。

魔法を使ってるわけじゃないのに、魔法みたいに見える。大したことをやってるようにみえないのに、すごくすごいことをやってるように見える。私にも、同じことができるはずなのに、…できない。ママ友たちは、こぞって「スゴいよねー」と言う。私も、あんなふうに、どの赤ちゃんとでも一体になれる人を見たことが無い。そして、私は…といえば、娘とだってちゃんとペアになれているのか疑問なのだ。

すると、私はくるくると想像をめぐらしてしまうんだな。ウチの娘がこのあやし上手のママさんの子として産まれていたとしたら、もっと幸せだったかなあ〜って。この6ヶ月間もし娘がYさんのもとで育てられていたとしたら、どんなふうになっていたんだろうな…って。

それはYさんだけのことじゃない。他のママさんに会っても、同じことを思うのだ。ウチの娘がこのキレイなママさんの子だったら、もっとお洒落感覚を磨けたかもしれないな〜、ウチの娘がこの頭のいいママさんのもとに産まれていたとしたらもっと知的になったかなー、って。

病院にいるときは、同じフロアを同じようなパジャマを着て歩いてせいか、ママさんたちには出産という一大事を通り抜けた同志みたいな感覚を持っていた。なのに、児童館で会うママさんには、とてもそれぞれ個別の個性を感じる。そして、それぞれのママのもとで6ケ月育てられたベビーを見ると、やっぱりそれぞれに、そのお母さん色に染まっているなあ、って思うのだった。

こころのどこかで「娘を幸せにできている」という自信がないから、他のママのいいところを羨んで、自己嫌悪に陥るのだとだと思う。けれど……、考えちゃうんだなあ、これが。

パパとママが違う個性をもち、そして家庭ができあがっていて、その家庭をホームグラウンドとして、それぞれのベビーは育っていく。母親の育児のスタンスから、家庭の雰囲気から、教育方針から、一つとして同じものはない。

だからこそ、「私でよかったの?」って不安になってしまう。「私は娘の期待にこたえられてるの?」って自分を疑ってしまう。そうして、いてもたってもいられなくなっては、えへらえへら笑う娘をぎゅっと抱きしめる。

「母親がこんなを想像していたら、娘が可哀想」と言う人もいるかもしれない。だけど、遠い未来、娘が母となったときに、私と同じことを考えるかもしれないから、赤裸裸と思われても記しておきたいなと思う。「お腹の子は女の子ですよ」と言われた妊娠7ヶ月、「この子も”産む性”として生まれてくるんだー」としみじみ思ったあの日から、将来の娘のために私はこのブログを始めた。

「どうしてあなたはここに来たの?」というこたえの出ない問い。この問いを心のすみに抱えながら一緒に泣いて笑って暮らしていくうちに、じょじょに何かが分かっていくんだろうか……。

分かるかもしれないし、分からないかもしれない。でも、いつか出産時の番号札やへその緒を手に取って、親子ってなんだろうね、って話せる日がくるといいな。そして、その時「おかあさんの娘で幸せだよ」と言ってもらえたら嬉しいなーって思う。