1歳と5日目

misokkasu2005-12-13


■いざ治療っ!:経過↓

☆13日午前4時 
最後の母乳をあげる。
私としては「ここでたっぷり飲んでくれよ」の気持ちだったが、りんごちゃんは、ほんのちょっと飲んで寝入ってしまった。

☆午前6時  
母乳が欲しいと泣く。いつもならここであげるものの、ガマン。りんごちゃんは、「どうしておっぱいくれないの?」と大声でギャン泣き。さすがに別部屋に寝ていた夫ちゃんも起きてきて、2人がかりであやす。が、ギャン泣き止まらず、私の身体に噛み付きまくる(こりゃ、卒乳までの道のり遠いなーと途方に暮れる私…)。
午前7時までで飲水もストップせねばならないので、「仕方ない、ここは思いっきり泣かせ、本人に妥協させてお水だけ飲ませるか」と泣かせる。

☆午前6時40分。
ちょこっとイオン飲料を飲む。胸をなでおろす私…。

☆午前7時
飲み物や食べ物をのことを考えさせないために、テレビでまぎらわさせる。

☆午前8時
義母到着。付き添いのため、来てくれた。やっぱり1人きりでは心細かったので、来てもらって良かったと思う。大感謝!

☆午前9時半
いざ、診察室へ。りんごちゃんをパジャマに着替えさせたあと、さまざまな説明などを受ける。

☆午前10時30分過ぎ。
治療開始。母親の私だけ治療室に呼ばれた。「おかあさん、しっかり抱っこして!」「手をしっかり持って!」お指示される。りんごちゃんは、甘い空気を吸い、顔にマスクをあてがわれ深い眠りのなかへ。眠ら「される」りんごちゃんを見て、なんとも言えない複雑な気持ちになった。

☆午前11時半
治療終了。寝かされているお部屋に行くと、右手にギブスをされ点滴をされていた。
衝撃的な姿に、涙が出そうになる。付き添いに来れない夫ちゃんのためにデジカメで写真を撮ろうと思ったが、こんなの見なくていいよ」という気持ちになったので、撮るのをやめた。

りんごちゃんの姿を見ながら、義母と色んな話をする。余談だけど、売店にお昼を買いに行ってくれた義母が「假屋崎省吾がおにぎり買ってたわっ! テレビで見るよりも小柄だったわよ。そして、やっぱり女の人みたいだった」と言っていた。私はりんごちゃんの抱っこで離れることができず、彼を見られなくて残念(笑)。どうやら糖尿病の治療に来ている、らしい(売店でおばさんたちがウワサしていたそうだ)。

☆午後12時
12時過ぎに目が覚めた。うわっと嬉しくなる。麻酔から目が覚めると、イヤなのか、自分でマスクをとった。しかし、うつらうつらしたあと、再び眠りのなかへ。

☆午後2時
目ざめる。イオン飲料を飲み、その確認をしてもらって、点滴をはずす。

☆午後3時
今後1週間のケア方法を聞き、薬局で薬をもらって帰宅。


■私たちの決断とお医者さまの話

りんごちゃんの誕生後、異所性蒙古斑を気にしていたのは、むしろ夫ちゃんだった。私自身はどちらかと言うと「そんなに気にしなくてもいいんじゃない?」とのんびりかまえていたほうだ。

しかし、7ケ月健診の時、産院で「これは皮膚科で見てもらってください」と言われた。というのも、誕生後すぐは「小学生くらいになれば薄くなりますよ」と言われていたからだ。診断がひるがえったことに驚き、私は3人の医者をたずねた。が、3人が3人とも「これははやく治療したほうがいい」と言う。

3人のうち1人でも「自然と消えますよ」と言う人がいるなら、私は自然に消えるほうを選択したかった。しかし、3人が3人とも同じこと言うのなら(しかも、腕がいいと言われる先生が言うのなら…)と、私の心は傾いた。

医者の決断を根拠とした私とは違って、夫ちゃんは医者の言うことなどよりも、本人が心ない言葉に傷つくことを心配していた。「本人には悪気がなくても、子ども見えたまま、思ったままを言うよ。特に身体的なことって、必ず言うから。りんごちゃんが”ウシ!”とか言われて帰ってきたら、どうする??」と、その主張を曲げなかった。そう言われると、確かに過去を振り返ると、身体的なことを言われて傷ついたことは私にも結構ある。

そんな訳で、最初は「ちょっと過保護すぎるかなー」と思った私も、医者と夫ちゃんの主張を聞いていくうち、「よし!」という気になった。「まぁ、女の子だしー」と思った部分もかなりある。

そうして、のぞんだ治療。風邪のためキャンセルが結構出ていたらしく、りんごちゃんはお医者さまからも、お手すきの助手のみなさんからも、かなり丁寧に対応をしていただいた。

お医者さまも「キレイになりましたよ」とにっこり。「月齢がはやいウチで本当に良かったですよ。年齢を重ねると消えにくくなって、その分大変ですからね。1歳でやったから、肩や腕のところにあったちっちゃいものは、今回きりでキレイになったと思います」と先生。「1歳という月齢が、はや過ぎてはいないか」をちょっとだけ心配していた私は、「はやくにやって良かったと思いますよ」の言葉を聞いて心底ほっとした。そして、今回がんばって良かったと思った。そして、次なる治療への勇気がわいてきた。

確かに、待ち合い室で3歳くらいの女の子の母子を2組見かけたが、3歳ともなると、病院がどんなところか分かってしまっているので、「いやだいやだ」と逃亡しようとするし、その泣き叫ぶ声たら、っもうっっ(涙)。お母さんは力づくで連れていこうとしていて、待合室ではすごい闘いが繰り広げられていた。

あの様子を見ると、やっぱりはやくやって良かったと思った。りんごちゃんは、まだ病院がどんなところかは分かっていないし、病院の色んなマシーンや器具もおもちゃだと親が都合よく勘違いさせることができる(といっても限度はあって、りんごちゃんでさえ、看護師や医者の白衣を見ると、何かを察して半べそをかいていたけれど)。

今回の先生は、すごく礼儀正しく、親の気持ちをわかってくださり、また子供慣れしているあやし上手な先生で本当に良かった(患者さんに、ベビーや幼児がとても多いらしい)。あんな風に、深々とお辞儀するお医者さま、初めて見たなぁ。

1週間後に経過を見てもらうことになっている。たぶん次の治療は半年後。経過がいいといいなあと思う。


■乳児医療症、やるぅー!

この効力、なんて凄いのっ! 完全麻酔して、医者2人と助手3人の5人がかりで、ナント0円。「えええ、ウソー!」って目が丸くなる。


■ちょっとしたつぶやき、その1:命について

断っておくが、今回のりんごちゃんの治療は命にかかわるものではない。けれど、娘の治療に付き添うことで、命について色々と考えをめぐらせた。……「管を付けてまで生きていたくない」と思うタイプだった私。けど、今回のりんごちゃんの様子を見て「管を付けていても生きていてほしい」と思う家族の気持ちがちょっとわかったような気がした。


■ちょっとしたつぶやき、その2:卒乳について

今回の治療の前、特に私は卒乳しよう…とは考えていなかった。まぁ1歳になったし、そろそろ〜とは思っていたものの、実行に移すのはまだまだ先でいいと思っていたし、ホンネを言うと、次々卒乳していく母子の様子を見聞きし自分に置き換えるたび、おっぱいをあげなくなることを想像すると寂しい気持ちになっていたのだ。

思い返せば、娘とのつながりが切られるような気がして私はヘソの緒を切られるのも嫌だったのだ。でも、娘の誕生後、そのなんとも寂しい気持ちをおっぱいをあげることで埋めてきたところがある。おっぱいをあげている限り、娘とつながっているような気がして、嬉しかったのだ。

が、治療後、不思議と「これを機会に卒乳してもいいかなー」という気になった。「え、ウソっ!」と自分の心境の変化に自分でびっくりしまったほどだ。どうやら、この治療がきっかけとなったようである。治療は大変だったけれど、母子一体で何かを乗り越えたような気がしたのだ。だから、卒乳しても大丈夫…だと思い、↓のようにちょとトライしてみた。

突発でおっぱい星人になっているりんごちゃん相手だし、これまで1日10回あげてた私がいきなり卒乳…は無謀だったけど、卒乳……、どうやら私の「気持ち」の準備はできたような気がする。

治療は大変だったけど、今、この時に治療をしたことに、治療以外の意味を感じる、そんな今。

■卒乳??? (初トライの状況)

おっぱいをあげなくなって、12時間経った。この治療をきっかけに、母乳を欲しがるまであげないでいてみようとトライしてみている。りんごちゃんは治療ですっかり母乳のことを忘れてしまったのか、帰宅後もイオン飲料を飲み、特に欲しがる様子もない。

ん、これはイケるかな?? ……ただ、私のおっぱいが石のようにかちこち。取り急ぎ、りんごちゃんの見えないところで(おっぱい見たら多分かぶり付くと思うから)搾ってみているのだけど、これでいいのかな。

と、トライしたものの、結局14時間後に欲しがり、私のおっぱいもコチカチになってしまって、母乳をあげてしまった。りんごちゃんより、私のほうがしんどかったような気がする。おっぱいが痛くて、精神的に狂いそうだった。